日本統治時代、安平編制には「保正」が五人もいる。すべて台南市市役所から任命され、現在の里長(町長)と等しい。
当時の安平には「安平保正、陳先生、何仔慶」という諺がある。それは陳織雲と何有慶という二人を指していた。陳織雲(西暦1868年に生まれ、西暦1942年に死去)、西暦1895年に日清戦争中長男陳契煥を安平に連れてきて、観音亭近くの金門館私塾で授業をしていた。台湾が日本の植民地になった後唐山に帰った。西暦1905年再び来台、かつて市仔街(現延平街)で私塾を開設したため「陳先生」と呼ばれる。日本の統治から解放された後民国35年から88年にかけて隣長(班長)を担任して、地方事務に参与し50年間地方の発展に貢献した。
何仔慶は安平港仔尾にある何家の三代目。現安平文教基金会会長何世忠の曽祖父である。何家は艀で貨物を運ぶことを家業にしていた。すなわち、福建からきた安平外海及び四草湖で泊まる貨物船(「舶艟仔」と俗称される)のために五條港まで貨物を運ぶことであった。
資料提供:安平人/安平老人口述歴史図及び絵像第一巻 出版者:財団法人安平文教基金会
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