
黄栄全,1895年に生まれた、赤ちゃんのうちには丁度日本軍が台湾に侵略しに来た時期であった。常に泣いてとまらないため、母親が「安民」で慰めて奇妙なことでやがて泣かなくなったため、「安民」を別称に名づけた。
20歳に安平灰窯尾弘済宮池府に「乩童」(祈祷師)として選ばれた。中日開戦後、五百名軍夫の中の一人として召集された。西暦1945年に、霊感によって漁民が出漁するなら危険に襲われることがわかって士官に知らせると空説と見なされて、そして人心を惑わすと刑を定められて刑務所に送られた。数ヵ月を経て釈放された数日後、米軍が台南市に大きな爆撃をした。その後このことを知っている人限りみんな珍しいと言っていた。 西暦1946年から安平区金城里第一任里長(町長)と選ばれ、さらに7回を重任した。そして、民国57年に「台湾省特優里長」と当選された。
1970年に逝く、食塩を晒すことや漁師、養殖などの職業を従事した。かつて弘済宮会長、「開台天后宮」再建委員及び監事、サービスカウンター調和委員会委員などの職を務めた。一生教育、治安、社会建設に身を捧げた。
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