
伝統的な士大夫(帝王の師と為す)の家庭に育ち、19才に科挙制度(高級官僚をペーパーテストで選抜する制度)で挙人に、29才でさらに進士まで選抜されたほど優秀な人材でした。才能と人品が認められ、林則徐の婿になりました。太平軍の反乱により内戦で、沈葆楨は江西省要塞の広信鎮を守りきったため、一気に全国有名なヒーローとなりました。曾国藩も沈葆楨の才能を買い、江西省の巡撫まで昇進しました。母の服喪を終えてから、船政大臣まで大昇進をしました。
沈葆楨は左宗棠から最新型軍艦を継ぎましたが、近代的な軍隊でないといくら最新型の武器を持っても戦力にならないと考え、「船政学堂」(海事学校)を設立しました。船政大臣に就任してから、近代的な国防システムを作るのに、様々な改革をしなければならないと考えていました。実際、本格的に改革を推進したが、当時利権の既得者から厳重な抗議をされ、また官僚汚職で福州船政局は一度資金調達の困難に陥りました。そのため、晩年になった沈葆楨も時間と勢力を資金調達に使いました。沈葆楨がなくなってから5年目(1884年)、彼が一生懸命経営してきた福建水師は中国とフランスの戦争で完敗してしまい、福建水師の時代が終わりました。
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